ジャックログ 2chJacklog

ジャックログは 2ch ニュース まとめサイトです。

トップページ > スポーツ

スポーツ

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
20151230-00000003-nkgendai-000-1-view

「特別扱いもいいところ。何様だって話ですよ」

ソフトバンクのチーム関係者が松坂大輔(35)について顔をしかめる。

今季、4年16億円という巨額の契約を結んで日本球界に復帰するも、右肩痛の影響で一軍登板ゼロ。期待を大きく裏切った松坂は、チーム内でも浮いた存在になっているという。

オープン戦では試合前練習に遅刻して罰金18万円を取られると、3月半ばにインフルエンザを発症。その後、リハビリ組となったが、シーズン中はチームの西戸崎練習場にはほとんど顔を出さず、東京の治療院など全国の医者行脚をする日々。

8月には「関節唇および腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」と複合的な大手術を受け、以降はリハビリを理由に自宅のある米国に帰国した。

「福岡だとマスコミがいてリハビリに集中できないというのもあって、方々を飛び回っていたみたい。ある時、九州の福岡県外の遠征で登板を緊急回避したことがあった。
右肩違和感が原因とされているが、練習場に来たり来なかったりと身勝手な行動が続いたこともあり、『遠征先にチームのバス便ではなく、マイカーでの移動を要求して認められなかったから面倒くさくなったんじゃないの?』と訝る声も聞いた」とは、ホークスOB。

 肩にメスを入れて復活した選手はほとんどいない。「平成の怪物」はもう一軍マウンドに上ることはないかもしれない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151230-00000003-nkgendai-base
【【ソフトバンク・松坂大輔】リハビリ理由に悠々自適 、“米国逃避”に大ブーイング】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
かつて大晦日の恒例行事だった格闘技が久しぶりに復活し、その模様がフジテレビでオンエアされることが決まった。
出場選手と対戦カードが発表された中、スペシャルマッチとして組まれたのは、あの伝説の「曙VSボブ・サップ」の再戦だ。

格闘家でタレントのボブ・サップ(42)と曙太郎(46)。
人気絶頂だった2人が03年に対決した時は、民放で初めて「紅白歌合戦」を超える43%の瞬間視聴率を記録。
この試合で惨敗した曙は、その後プロレスに転向してそこそこ活躍したが、いったいボブ・サップはこれまでどこで何をしていたのか?

「格闘家としてのサップの全盛時代は05年まで。06年以降は金銭問題で揉めたり、試合をボイコットしたり、出場しても負け続けという時期を経て10年ごろにはほとんど姿を見かけなくなりました。全盛時代には最高月収で1億2000万円稼いだこともあると告白していましたが、その大半がテレビやCM出演料、キャラクター契約料など、格闘技以外の収入だったようです」(格闘技ライター)

トレーニングを怠り、体はブヨブヨに衰え、その結果負け続けて「野獣」イメージが壊れていくと同時に人気も衰退。
10年には4億円の資産を残して格闘家引退を宣言。
「獣医師を目指す」などとの言葉を残して日本を去っていった。

そんな“失意の”ボブ・サップのその後が明らかになったのは翌11年。
テレビの追跡番組が韓国で催眠術師になっている姿をスクープしたのだ。
番組によると、催眠術や占い、タレント活動をしていたという。

「ボクシングパンツ姿で催眠術をかけている姿には驚きました。
カネにはシビアとは聞いていましたが、落ちぶれたなという印象」(テレビ関係者)

そのボブ・サップが再び日本での活動を始めたのが13年。
K-1界の暴露本「野獣の怒り」の出版を機に再びCMやバラエティー番組に出演し始め、プロレスにも復帰。

「ギャラの安いプロレスにも嫌がらずに出場し、高額ギャラのパチンコ店回りや地方営業でかなり稼いでいる。13年には重量級ボクサーの西島洋介の引退試合の相手役に、今年4月には演歌歌手の小林幸子のプロレスデビューの相手役もやっています。稼ぎに稼いで、今では資産10億円超らしいです」(芸能ライター)

サップにとっては大晦日の曙戦も“営業”の一環にすぎないのかもしれない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151226-00000008-nkgendai-ent

ボブ・サップ

【【ザ・ビースト】 曙と再戦のボブ・サップ “ドサ回り”で10億円貯めていた】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
sanokennjiro

「模倣や盗作は断じてしていないことを、誓って申し上げます。しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、謝罪致しました」

「もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました」

 盗作疑惑が取り沙汰され、東京五輪のエンブレム案が使用中止になったデザイナー、佐野研二郎氏のコメントだ。

 騒動から4か月がたとうとするいま読み返すと、「オレはホントは悪くない」という本音がダダ漏れしていたのがよく分かる。

「佐野さんは騒動のあと、『ネットの奴らが騒いでいるだけだ』と彼を批判するネット民にかなり怒っている様子でした。

 佐野さんがデザインを担当する大手のクライアントもみんな彼に同情的で、ロゴデザインを手がけた企業の最高幹部が『佐野さんを励ます会』を開いたほど。
そうした励ましもあって、いまでは意気揚々と仕事しています」(佐野氏を知る広告業界関係者)

 佐野氏の事務所を訪れると、「長い出張に行っております」(事務所)とのことで取材に応じてはもらえず。バリバリ仕事しているのは間違いないが、長い出張ということはかなり遠方の可能性が高い。

 もしや、エンブレムの盗作疑惑を訴えたベルギー人に会いに行ったのではあるまいか。だとしたら、今度こそ疑いが晴れるとイイネ!

※週刊ポスト2016年1月1・8日号

http://www.news-postseven.com/archives/20151221_372086.html?PAGE=1#container
【【五輪エンブレム】佐野研二郎氏、同情的な大手クライアントが「励ます会」開催wwwwww】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
五輪エンブレム審査員の一人で唯一、最後の選考で佐野研二郎氏の作品(修正バージョン)に反対したとされる平野敬子さんが自身のオフィシャルブログにて審査過程で何があったかその内情を暴露した。
http://hiranokeiko.tokyo/?eid=45

五輪エンブレムの審査では審査員の一人として票を投じていた。
しかし、その過程には数々の不審な点があり、佐野研二郎氏の盗作・コネ問題が炎上してから疑念はさらに強まったという。
騒動後は、自身も審査員のメンバーだったということでマスコミ、ネット上でバッシングされ息を潜めていたがいつまで経っても解決しない問題に義憤を感じて告発することに決めたという。

残念ながらブログは「転載禁止」ということなので、第一回から第十二回に渡る記事から要点をかいつまんで紹介しよう。
1.公募期間は不自然に短かった。ライバルを減らす策略か。
エンブレムの公募期間は2014年9月12日~ 11月 11日の約2ヶ月間となっており、また申し込み後に応募の詳細が届くという形式だったため、制作にあてられる時間は実質1ヶ月しかなかった。利権を握った審査委員が息のかかったデザイナーを当選させるために故意に応募を難しくしたのではないかと疑われる。

2.電通の高崎卓馬氏から「今回の審査では展開性を重視して選ぶように」と謎の指示があった。
展開性とは応用性のことで、通常のデザイン業界で用いられる言葉ではない。平野敬子さんはその審査ポイントに違和感を感じ、「純粋にロゴの評価で選んだ後に、そのエンブレムの形をどう応用するかは後から考えればいいのではないか」と意見したが、受け入れてもらえなかった。
今になって思えば、佐野研二郎氏の「T」のマークのシンプルなデザインを選ばせるための誘導だったのではないか。

3.招待作家(特別シード枠)の存在について隠されていた。
永井一正氏と高崎卓馬氏は審査委員には内緒で一部のデザイナーを招待作家として応募させていた。
後に週刊誌の報道でシード枠があったことを知った平野敬子さんは当然これを不公平だと感じた。
「そういえば、緊迫した雰囲気が流れる審査時に『これは招待作家の作品なのに残さなくていいのか』という言葉を聞いたことを思い出した。
あの時は聞き流したが、今になって思えばそういうことだったのか」。
【【東京五輪・佐野エンブレム】永井一正・電通高崎とその仲間たちの癒着を、審査委員がブログで内部告発!!!】の続きを読む

このページのトップヘ